光の郷の、いにしへがたり

奥州藤原氏と北日本の歴史から流れてきた、アニミズム的気づきをまとめています。

記憶が見せてくれた風景.

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平泉に行くと、「~跡」と名のつく場所が多いです。

観自在王院跡.

無量光院跡.

柳之御所遺跡も、ぱっと見、だだっ広い公園.

 

テーマパーク的感覚で楽しめるのは、

中尊寺毛越寺と、周辺にあるお土産物屋さん.

あと、柳之御所遺跡の近くにある、道の駅.

 

でも、これがたぶん

奥州藤原氏、そこに流れ込む安倍氏が生きていた

彼ららしい「スピリット」なのでは?

 

そんなことに気が付いたことがありました.

 

2歳から英語を教えていた教え子がいます.

その教え子が推薦入試で地元の大学を受験することとなりました.

私の住んでいる地域は

藤原秀衡が建立したといわれるお寺があり、

私が生まれた翌年、廃寺になっているんですが、

そのご縁かもしれません.

 

彼女もハンパなく「平泉」が好きで、

将来は、平泉の役に立ちたい、という思いが強くありました.

なので、大学も「平泉」のことを深く学べる場所、ということで、

地元の大学を選んだのですが、

志望理由書作成のプロセスの中で

一緒に現地に行き、感じたこと、考えたことを言葉にする時間を持ちました。

 

そこで、記憶が見せてくれた風景.

 

無量光院跡でのことです.

 

限られた時間の中で、

中尊寺柳之御所遺跡、毛越寺と回って、

電車の時間まで中途半端な時間が発生.

 

駅から近いから、無量光院跡に行ってみようと

足を運んだ時間は、丁度、日没の時間に重なっていました.

 

リサーチを通じて、教え子に教えてもらったことですが、
無量光院は、日没の太陽の位置を
丁度阿弥陀如来像の真上を通過するように計算して
たてられていたもので、

日没の時に極楽浄土をイメージできるようにしていたのだそう。


 偶然ではありましたが、その風景を見ることができました。

 

もちろん、建物はありません。頭の中でのイメージです。

イメージがしやすいよう、傍に建物の絵が描かれた看板がありましたが、

とりあえず、10円玉の裏を思い出しながらです。

 

この時、

 

この感覚こそが「彼らが伝えたい」ことなのではないだろうか。

 

そう、思ったのです。

 

ヒトが生み出したモノは、いずれ消えていく。

でも、そこで生きた記憶は、きちんと残っていて、

時代が変わって、地球の意識が変われば、

それにふさわしいカタチで、それにふさわしいタイミングに、

そして、

それを想起するにふさわしい「ヒト」を通じて、

何度でも蘇ることができる。と。

 

地元の伝統芸能のお話で、「一度廃れたけれど、復活した」という話題を

よく聞きます。

 

「滅ぶ」ということを私たちはネガティブにとらえてしまいますが、

実際起こっていることは、秩序だったエネルギーが、

役割を終えて新しい進化に向かうために、

一度無秩序に向かうフェーズに入っただけ。

 

確かに、物質的には壊れて、失ってしまいます。

エネルギー的には何一つ失われておらず、

逆に進化し、新しいモノとなり

新しい時代に現実化するために、「変容」しただけなのです。

 

そのことを「彼ら」はもちろん、

共に生きていた人々のDNA、

そして、ヒトの生命として存在していたエネルギーも知っていたような気がします。

 

失われたように見えるけれど、

実際は何一つ失われていない。

 

あなたの魂の波動が、きちんと必要な情報をつかむことができる。

ここには、今の宇宙、そして、地球の次元と

その次元を生きているあなたの魂にしか受け取れない情報があるんだよ。

その情報を受け取って、あなたが進化すればよし。

 

そんなことをこの一件では、学んだのでした。

 

これを俗にチャネリング、というのでしょうが、

実際はそんな大仰なものではなく、

ただ、空間に流れるエネルギーを感じて、

自分の内側からあふれ出る気づきに

身をゆだねるだけなんですけどね。

 

それもまた、彼らが持っていた特有の

「感覚」なのかもしれません。

  

 その感覚が目覚めた一件。

日々の生活の営みに、

ぐぐっと生命の営みをより深く感じることが増えました。

 

そして、なぜか、

物理や宇宙に関する本がたくさん現れるようになったんですが。。。

 

あの空間に満ち溢れている智慧のエネルギーを、

今、あなたが生きている人生と地球の次元で表現するとこうなります。

 

・・・的な展開。