光の郷の、いにしへがたり

奥州藤原氏と北日本の歴史から流れてきた、アニミズム的気づきをまとめています。

市章、というシンボル。

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さいころから見慣れている、この市章。

シンボル学から見ると、とってもすごいシンボルです。

 

ちなみに、この中心の○に見える部分は○ではなく、八角形です。

こういうものを産み出してしまう集合無意識のすごさにも圧倒されます。

 

おそらく。見る人が見れば、その意味はいろいろ見えてくると思いますので、

解釈はお任せしたいところ。

私が捉えているイメージを一言でいうなれば、「調和」のシンボルです。

 

キリスト教の十字は、

縦が神とのつながり、横がヒトとのつながり、という話を聞いたことがあります。

なので、少し縦が長い。

 

縦と横が同じ長さ、ということは、

神とのつながり、ヒトとのつながりのバランスが

質量ともに取れる場所、ということになります。

 

もちろん、ここでいう「神」の概念は、ヒトそれぞれ。

ひとりひとりのイメージや思い、信じるところによるところが大きいでしょうが、

「目に見えない世界の秩序」と「目に見える世界の秩序」の調和を

大切にしようとしていることに変わりはありません。

 

高校まで「市立」にお世話になったご縁がありますが、

高校の校章はもろ均等な十字の中心に桜が描かれているもの。

 

桜、というところも、シンボルから様々なメッセージを読み解くことができます。

 

そんなところからも、

自分の魂からのメッセージってやってくるものなんですね。

 

私の父はお隣仙台のヒトでしたが、

赤十字病院が勤務先でした(笑)

 

父と私とこの都市とは「十字」で繋がっている。

面白い縁ですが、それもまた、

自分の魂の生きる目的につながっているのでしょう。

 

しかしながら。

やっぱり、集合無意識って侮れない。

 

そんなことを思う、蟹座新月皆既日食つきの朝でした。