光の郷の、いにしへがたり

奥州藤原氏と北日本の歴史から流れてきた、アニミズム的気づきをまとめています。

伝統芸能と占星学と。

 


昨年行われた、東北絆まつりから

伝統芸能のイベントとホロスコープの連携に気を向けるようになりました。

 

私が占星学を自分の生活の中で

本格的に使い始めたのは2013年ごろからです。

 

その流れの中で、

昨年、盛岡で行われた東北絆まつりの開催と

そのころ占星学の世界で盛んに言われていた天体イベントの接点に気づき、

ホロスコープを起こしてみると。

 

天空に水のグランドトラインが描かれた中で、この催しは行われることに。

 

このイベント、

ただのイベントのように見えて、立派な「神事」。

それも、宇宙レベル。

 

・・・ヒトの無意識って、

適当に見えて、押さえるところはきちんと押さえているものです。

それが、この土地のヒトの素質というか、集合無意識の凄さというか、

奥州藤原氏が残した「目に見えない遺産」というか(笑)

 

・・・感動したことはたしかです。

 

そして、ここで出会ったのが

今やすっかり大好きになってしまった「鹿踊」。

鬼剣舞は小さいころからなんとなく知っていましたが、

鹿踊はなんと「見たことも聞いたことも」なかったのです。

 

地元にいても、知らないものは知らない。

 

見事な共鳴の法則です。

 

ですが、共鳴してしまえば、お互い引き寄せの法則で出会うもの。

 

絆まつりの郷土芸能ステージで

鬼剣舞の前に現われた、この人たち。

 

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ステージをせまそうに、きつそうに、

太鼓をバンバン鳴らして踊りまわるものですから。

いつかどこか破壊するんじゃなかろうか、

ステージから勢い余って落ちるのがいるんじゃないかと

ハラハラドキドキしながら、

母が子を見守るまなざしで眺めて以来のおつきあいとなっています。

 

さて、今度の8月1日はしし座新月

鹿踊りは「ししおどり」と呼びます。

 

獅子=鹿 (驚!)

 

の宇宙が仕掛けた言葉遊びに驚愕しつつ、

今年の盛岡さんさ踊り初日がこの、しし座新月

 

三日月の日は北上みちのく芸能祭りの2日目で、

神楽舞「権現舞」群舞・鬼剣舞群舞が行われます。

もちろん、鹿たちも踊ります。

 

今回も、かなりスケールの大きなエネルギーの動きを

ホロスコープから感じつつ、

この日のエネルギーの読み解きを進めているところ。

 

しっかり予習して、祭りに臨む予定です(笑)

天に積んだ宝を見つける。

食はドラゴンヘッド(テイル)付近で

新月や満月を迎える時に起こります。
 
月や太陽が消えたり、欠けたり
そして再び現れる姿に古代の人々は畏れを持ち、
様々な祈りを捧げました。
 
時空のエネルギーを観察してきてわたしの中では
「食」は民族意識の「再生」「リセット」「書き換え」という解釈をしています。
 
ドラゴンヘッド(テイル)は、
過去生や先祖など”民族的カルマ”に関わる集合意識の場だと
感じています。
 
その書き換え。

 

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2009年辺りだったでしょうか。

単に自分の仕事で必要だったために、

学び始めた「ブランディング」の世界。

そこから、この土地は、

この土地が持つ

様々な「宝」の存在を教えてくれるようになりました。

 

もちろん、その「宝」を受け取る前に

しなくてはいけないこともたくさんありました。

その、宝を受け取るために必要な「全て」は、

既に預けられてもいたなぁ。

 

そんなことを振り返りながら、

この記事を眺めるやぎ座満月です。

 

日本人にとって、東北の歴史、というのは、

どこか「触れてはいけないもの」という感覚があるのかもしれません。

 

それは、この土地に住む人にとっても同じようで、

自分が生きる世界の否定、という形で表れている場面を

さいころから何度も繰り返し見ることとなり、

最近ではもう、パターンを見抜けるようになってしまうほどになりました(笑)

 

それは潜在意識で起こっている、

それも集合無意識の中で起こっていることなので、仕方がないな。

 

という、諦念を持つようになったんですが、

この諦念を持つことで動き出したのが、

ブランディングの手法を通じてスタートした「宝の発掘」作業でした。

丁度、「地域ブランディング」という言葉が注目されていた時期で、

そういう情報が入りやすくなっていました。

 

自分の仕事で使う予定の手法が、こっち?!

驚いたことはいうまでもありません。

 

 その流れの中で出会った言葉に

テロワール、という言葉があります。

 

ワインではおなじみの言葉ですね。

 

ブドウの木が育つ土地の風土と

その風土の個性を大切にしながら、ヒトが手を加えることで、

いいブドウが育ち、よいワインができる。

 

この、営みとブランディングの知識、そして、

私が仕事にしている、「教育」というフィールドが

バッティングし、宇宙から見える、壮大ないのちの営み、

流れのイメージが流れてきました。そのイメージを言語化すべく、

この10年ほど、いろいろとインスピレーションに導かれるまま、

作業にあたっているところです。

 

ヒトであれ、モノであれ、言葉であれ、

この、次元に「物質」として現れることができる、

ということは、

天に積まれた宝が

この世界に生を受けることと同じ。

 

あなたの生命は、

この地が幸せになるようにと

誰かが天に積んだ宝が現実化したもの。

 

そんな言葉が、今朝現われていました。

 

私の父と母にゆかりが深い言葉があります。

 

天に順じて、天を敬して、人を愛する。

 

天に順ずるは母の家系に深い縁のあるコトバ、

敬天愛人」は西郷隆盛の言葉ですが、父が大切にしていた言葉でした。

 

2人とも、天をキーワードに持っているあたり、面白いつながりですが、

この言葉が、奥州藤原氏にゆかり深い土地に呼び寄せたのかもしれない、

そんなことにも気が付く、満月の朝。

 

エネルギーの一つのレベルの書き換えが終わったようです。

 

  

 

中尊寺蓮と奥州藤原氏の女性たち.

 


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平泉から帰宅して1週間が経とうとする一昨日.

中尊寺ハスの開花」のお知らせと出会いました.

 

4代 藤原泰衡の首桶から出てきた800年前の古代ハスの種が、

長い時を経て、復活.

現在、さまざまな場所に株分けされていて、

その美しい姿を楽しむことができるようになりました.

 

私が初めて中尊寺ハスを見たのは、2015年に「江刺藤原の郷」で.

盛岡にも株分けされていることは知っていたのですが、

足を運ぶ機会がありませんでした.

ですが、今回ようやっと、扉が開いたようです.

 

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盛岡駅からバスで10分ぐらいのところに、この場所はあります.

この辺りに、奥州藤原氏を支えた女性たちの実家 安倍氏の館があったんですね.

 

清衡公のお母さん、側室、基衡公の奥さん(継室)

 

そこに植えられている、中尊寺蓮は、

どうにも、彼女たちの象徴、特に、清衡公のお母さんの象徴のような.

今年5月にえさし郷土文化館で出会った中尊寺経(レプリカ)を思い出します.

このお経の最後に清衡公と共に、お母さん、そして、後三年の役で亡くなった

奥さんの署名も添えられていたんですね.

これを見た時、

 

清衡公が感じていたお母さんの存在、お母さんとの関係、

お母さんが清衡公に与えた影響、ってどんなものだったのだろう.

 

そんな疑問を感じたことを思い出しながら、

ここに植えられている中尊寺蓮に会いに行きました.

 

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ハス自体は2012年に植えられたもの.

こちらも、今年7年目を迎え、8年目に入ったところです.

8は

 

無限、エネルギーが飽和状態になって、広がっていく、

 

という意味を持つ素敵な数霊です.

そんな数霊をまとった、中尊寺蓮の開花はやはり、特別な意味を持っているのでしょう.

.

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開花2日目.周りをシオカラトンボ

ぶんぶん かっ飛ばしていました.

 

このハスが咲いている池は、人工池.

元々はもっと大きな池だったそうですが、

一度水を抜いたそうです.

その後、ハスを植えるために、ハスが成長するのに適した形で

作ったのだとか.

 

なので、周りを見回すと、その名残が残っています.

 

 

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昔の池にあった島に生えている、雌龍の松.

 

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こちらは旦那様、雄龍の松.

 

そして、この周りをかっ飛ばす、シオカラトンボは、

この、中尊寺蓮が育っている小さな池で生まれているそう.

トンボは英語で「Dragon Fly」といいますから、

彼らの子供たちですね.

 

蓮は観音さまの花.

きっと、

蓮の妖精を乗せて、トンボは周囲をかっ飛ばしている.

そう、龍が観音様を頭に乗せて、かっ飛ばしているように.

 

そんなことを思いながら、中尊寺ハスを愛でていました.

 

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もう一つ、花のつぼみが.

こちらは、7月30日ごろ開花予定.

今回はやぎ座満月直前の開花で、

満月の頃には花びらが落ち、次の進化へ向かいますが、

こちらは獅子座新月直前の開花予報

これもまた、なんとも完璧な宇宙のスケジュール.

 

また、そのころ、会いに来るね.

 

と、帰りましたが、

その後に起こったシンクロが♨

 

7月17日ー18日 早池峰神社宵宮祭と例大祭.

やぎ座満月 部分月食つきに

あまりにもジャストミートすぎます.

 

奥州藤原氏を支えていた女性たちの生命の輝きを知りたいなら、

早池峰山を観てごらん、感じてごらん

 

そんなメッセージのよう.

 

明日から、やぎ座満月のエネルギー下に入っていきますね.

明日は鬼鹿部の発表を観に行こうと思っていたんですが、

容赦なく、より良い方、より素晴らしい方へ変更になりました.

 

ホント、とりあえずの世界を私たちは生きている...んですね.

 

鹿をだしに、呼び出される七夕.

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前日.ツイッターにていっぱい流れてきていた「蔵まち市」@江刺と
「平泉遺産まつり」@平泉の写真。
最近、意識が宇宙と素粒子にぶっ飛んでいたため、
どっちかに行って、バランスを取りたいなぁ。
素粒子本片手に、朝、ぼやぼや検索するに。

平泉遺産まつりのほうに、今日は行山さんの「鹿」でる!
・・・というわけで、平泉行き即決です。

駅に着き、乗った電車は8時9分の電車。

7月7日8時9分。見事なぞろ目スタート。

あー来た来た。

こういうシンクロが起こる時、というのは、

宇宙意識の自分、魂のリズムの中で、エネルギーを調和するために

現実化していることです。

数霊上、7月14日が清衡公の命日なので

(旧暦なので、本当はもうチョイあとですが、)

江刺か平泉かどっちかに呼び出されるかな。と思っていたんですが、

今回は平泉でした。

平泉駅に着くと、循環バスがあります。

この循環バス、先に毛越寺に止まるので、そっちで降りるヒトが多いですが、

私は先に中尊寺に向かいます。

というのも、中尊寺はどうも、伊勢の外宮のような役割を感じるのです。

 

新しい豊かなエネルギーを受け取るために、

まず、今までの自分をリセットする。

 

豊かな木立の参道で、新鮮なエネルギーのシャワーを浴びながら、

金色堂、ではなく、一番奥にある、白山神社に先にお参りです。


中尊寺一番奥にある白山神社は、石川県に本宮のある
白山比咩神社の分社です。

 

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850年慈覚大師が勧請したといわれています。
当時の東北仏教の中心地は、北上・国見山。

この辺り、なんにもなかったでしょうね。
十一面観音を自ら彫って奉納した、という場です。

 

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石川にある本宮、白山比咩神社は3回ほど足を運んでいるので、
中尊寺に行くと、なんとなく、先にここに来ます。
ここまでの道、木立ちの雰囲気、白山本宮に似ていますが、
こっちは坂が狭くて、急かな。

石川の本宮のほうはもうちょっと道幅が広く、ゆるやかです。

でも、佇まいはそっくり.道すがらの木立も、似ています.

 

なので、いつも本宮にお参りしているような感覚に陥ります。

 

白山神社にお参りした後、金色堂

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もう、何度も来てるので、外から。
最近、藤原三代、身近すぎちゃって(特に清衡さん)
じいじって呼んでしまってます。

ブレない人たちが収まってますから、

いつ来ても、教科書に載ってるまんまの風景です。

 

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帰り道、あじさいが綺麗に咲いている場所に出ました。
そばにいた観光客の人が、「鎌倉に負けないね!」と言ってましたが、
確かに、この風情は、アジサイで有名な長谷寺といい勝負です。
長谷寺・・・ここも本尊が十一面観音ですねぇ♨
長谷寺も何度も行ってますが、確かに、長谷寺のミニチュアっぽい。

とりあえず、中尊寺はさくさくとお参りを済ませ、
「循環バスるんるん」に乗って、遺産まつり会場へ向かったのですが、

なんと、毛越寺手前でカメラの電源が切れ、写真が撮れなくなりました。

朝、いきなり決めたため、充電器も忘れていた。。。

 

でも、それは仏様の暖かいお心。

 

そう受けとって、毛越寺、遺産まつり、

お目当ての鹿踊を楽しんだところで、はっと気が付く。

 

「夕方、仕事があったの忘れてた(汗)」

 

あわてて駅に向かい、到着すると、

ちょうど20分後に電車がやってくる♪♪

そして、仕事の1時間前に帰宅することができました。

 

宇宙意識の自分が現実化することは、

一見何が起こっているか理解できず、予測不可能なことばかりですが、

一つの流れが収束して、振り返ってみると、とても美しい営み。

 

佐治晴夫さんの「それでも宇宙は美しい!」という本の中にでてくる

数学のエピソードが思い浮かびます。

 

美しく解くとは、無駄なく、単純明快に解くこと。

一つの目的に向かって、バランスを取りながら

ゆらゆらと試行錯誤を続ける営みこそが生命の特徴であり、

美しさ。

 

・・・この本、図書館から借りているんですが、

2日たった本日早朝、「中尊寺落慶供養願文」の一部が、

著者による現代訳で載っていたことが判明。

めちゃめちゃ鳥肌が立ちましたとさ。

 

今年はケプラーの「宇宙の調和」が誕生日前後やってきていたんですが、

「宇宙の調和」・・・キーワードのようです。 

 

それでも宇宙は美しい!: 科学の心が星の詩にであうとき

それでも宇宙は美しい!: 科学の心が星の詩にであうとき

 

 

市章、というシンボル。

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さいころから見慣れている、この市章。

シンボル学から見ると、とってもすごいシンボルです。

 

ちなみに、この中心の○に見える部分は○ではなく、八角形です。

こういうものを産み出してしまう集合無意識のすごさにも圧倒されます。

 

おそらく。見る人が見れば、その意味はいろいろ見えてくると思いますので、

解釈はお任せしたいところ。

私が捉えているイメージを一言でいうなれば、「調和」のシンボルです。

 

キリスト教の十字は、

縦が神とのつながり、横がヒトとのつながり、という話を聞いたことがあります。

なので、少し縦が長い。

 

縦と横が同じ長さ、ということは、

神とのつながり、ヒトとのつながりのバランスが

質量ともに取れる場所、ということになります。

 

もちろん、ここでいう「神」の概念は、ヒトそれぞれ。

ひとりひとりのイメージや思い、信じるところによるところが大きいでしょうが、

「目に見えない世界の秩序」と「目に見える世界の秩序」の調和を

大切にしようとしていることに変わりはありません。

 

高校まで「市立」にお世話になったご縁がありますが、

高校の校章はもろ均等な十字の中心に桜が描かれているもの。

 

桜、というところも、シンボルから様々なメッセージを読み解くことができます。

 

そんなところからも、

自分の魂からのメッセージってやってくるものなんですね。

 

私の父はお隣仙台のヒトでしたが、

赤十字病院が勤務先でした(笑)

 

父と私とこの都市とは「十字」で繋がっている。

面白い縁ですが、それもまた、

自分の魂の生きる目的につながっているのでしょう。

 

しかしながら。

やっぱり、集合無意識って侮れない。

 

そんなことを思う、蟹座新月皆既日食つきの朝でした。

 

 

記憶が見せてくれた風景.

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平泉に行くと、「~跡」と名のつく場所が多いです。

観自在王院跡.

無量光院跡.

柳之御所遺跡も、ぱっと見、だだっ広い公園.

 

テーマパーク的感覚で楽しめるのは、

中尊寺毛越寺と、周辺にあるお土産物屋さん.

あと、柳之御所遺跡の近くにある、道の駅.

 

でも、これがたぶん

奥州藤原氏、そこに流れ込む安倍氏が生きていた

彼ららしい「スピリット」なのでは?

 

そんなことに気が付いたことがありました.

 

2歳から英語を教えていた教え子がいます.

その教え子が推薦入試で地元の大学を受験することとなりました.

私の住んでいる地域は

藤原秀衡が建立したといわれるお寺があり、

私が生まれた翌年、廃寺になっているんですが、

そのご縁かもしれません.

 

彼女もハンパなく「平泉」が好きで、

将来は、平泉の役に立ちたい、という思いが強くありました.

なので、大学も「平泉」のことを深く学べる場所、ということで、

地元の大学を選んだのですが、

志望理由書作成のプロセスの中で

一緒に現地に行き、感じたこと、考えたことを言葉にする時間を持ちました。

 

そこで、記憶が見せてくれた風景.

 

無量光院跡でのことです.

 

限られた時間の中で、

中尊寺柳之御所遺跡、毛越寺と回って、

電車の時間まで中途半端な時間が発生.

 

駅から近いから、無量光院跡に行ってみようと

足を運んだ時間は、丁度、日没の時間に重なっていました.

 

リサーチを通じて、教え子に教えてもらったことですが、
無量光院は、日没の太陽の位置を
丁度阿弥陀如来像の真上を通過するように計算して
たてられていたもので、

日没の時に極楽浄土をイメージできるようにしていたのだそう。


 偶然ではありましたが、その風景を見ることができました。

 

もちろん、建物はありません。頭の中でのイメージです。

イメージがしやすいよう、傍に建物の絵が描かれた看板がありましたが、

とりあえず、10円玉の裏を思い出しながらです。

 

この時、

 

この感覚こそが「彼らが伝えたい」ことなのではないだろうか。

 

そう、思ったのです。

 

ヒトが生み出したモノは、いずれ消えていく。

でも、そこで生きた記憶は、きちんと残っていて、

時代が変わって、地球の意識が変われば、

それにふさわしいカタチで、それにふさわしいタイミングに、

そして、

それを想起するにふさわしい「ヒト」を通じて、

何度でも蘇ることができる。と。

 

地元の伝統芸能のお話で、「一度廃れたけれど、復活した」という話題を

よく聞きます。

 

「滅ぶ」ということを私たちはネガティブにとらえてしまいますが、

実際起こっていることは、秩序だったエネルギーが、

役割を終えて新しい進化に向かうために、

一度無秩序に向かうフェーズに入っただけ。

 

確かに、物質的には壊れて、失ってしまいます。

エネルギー的には何一つ失われておらず、

逆に進化し、新しいモノとなり

新しい時代に現実化するために、「変容」しただけなのです。

 

そのことを「彼ら」はもちろん、

共に生きていた人々のDNA、

そして、ヒトの生命として存在していたエネルギーも知っていたような気がします。

 

失われたように見えるけれど、

実際は何一つ失われていない。

 

あなたの魂の波動が、きちんと必要な情報をつかむことができる。

ここには、今の宇宙、そして、地球の次元と

その次元を生きているあなたの魂にしか受け取れない情報があるんだよ。

その情報を受け取って、あなたが進化すればよし。

 

そんなことをこの一件では、学んだのでした。

 

これを俗にチャネリング、というのでしょうが、

実際はそんな大仰なものではなく、

ただ、空間に流れるエネルギーを感じて、

自分の内側からあふれ出る気づきに

身をゆだねるだけなんですけどね。

 

それもまた、彼らが持っていた特有の

「感覚」なのかもしれません。

  

 その感覚が目覚めた一件。

日々の生活の営みに、

ぐぐっと生命の営みをより深く感じることが増えました。

 

そして、なぜか、

物理や宇宙に関する本がたくさん現れるようになったんですが。。。

 

あの空間に満ち溢れている智慧のエネルギーを、

今、あなたが生きている人生と地球の次元で表現するとこうなります。

 

・・・的な展開。

 

歴史を「Feel」する。

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近現代における人類の意識のログ:平均値で200、文明国で400。


昔の地球のログで生み出されたものを

修正するのは簡単。

 

デビッド・ホーキンス博士の「わたし」という本がある。
そこに書かれてあったことを簡単にまとめるとこういう話。


そして、このログは日々変化しているけれど、
地球自体が持っているログのおかげで、大きく下がることはない。

この知識を持って、歴史を眺めると、
歴史を知る、ということは、
ログの修正を行っているということなんだなということに気が付く。

 

ちなみに。
キリストとシャカが持っていた意識のログが1000+
キリスト教は500、大乗仏教が950(禅は890・浄土宗740)
これは最初に展開された教えからの劣化度を示すもの。
最大値1000で、値が高いほど、劣化が低い。

 

ただ、これには一つ不安定要素があって。
それぞれの宗教の指導者(介在者)が持つログによって変動する。ということ。


だから、純粋にこのエネルギーのログを体験するには、
介在者から与えられる情報を盲信し、満足するのではなく、
その情報に触れたときの自分の感覚の変化や、
インスピレーションを大切にすること。

これは自分オリジナルのログを守ることにもなる。

 

結局「原典を読む」のが一番いい。

読むというより、言葉を「感じる」
ログの変動は自分のログとの共鳴で起こる。
読経、写経、最高(笑)

でも、たぶん。
ログの記憶のある空間に身を置いて、エネルギーを感じ、
自分の内側から生まれる思考とことばが一番安全。

読経も写経も、結局、

ログの記憶のある空間とつながる鍵に過ぎない。

 

そんなことに思いを馳せつつ、

北東北の歴史を「Feel」するに。

 

藤原清衡は奈良・京都で栄えた仏教文化に違和感を感じ、
中国との交流を大切にしたという。


この辺り、この、ログの違いを感じる

直観的違和感が先にあったのかもしれない。

 

奥州藤原氏の持っていた東北の交易路は、
もともと安倍氏がくみ上げたもの。

そう考えるのが自然。
中心地は平泉以前に仏教文化が栄えた、国見山@北上。
清衡は前九年で荒廃した交易路を整備したんじゃないかな。

 

ログ・950の情報と共鳴する都市があのあたりにあった。
それだけで、わくわくする。
もちろん、他にも仏教都市、と言われた場所は

これぐらいのログを
ポテンシャルとして持っているんだから、すごいこと。

ちなみに、

鎌倉は禅が栄えたので、800前後をポテンシャルとして持っている。

 

来たる7月14日は清衡忌。(だったはず)
江刺かな、平泉かな。どっちもかな(爆)
金色堂に物質状態(俗に、ミイラという・・・笑)でまだいらっしゃるので

彼らが生きた記憶のログとの交流は比較的しやすい。

 

その中でどうにも、清衡さんに引っ張られます。

 

 

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