光の郷の、いにしへがたり

奥州藤原氏と北日本の歴史から流れてきた、アニミズム的気づきをまとめています。

歴史を「Feel」する。

f:id:Phrasedumiroir:20190630063038j:plain

 

近現代における人類の意識のログ:平均値で200、文明国で400。


昔の地球のログで生み出されたものを

修正するのは簡単。

 

デビッド・ホーキンス博士の「わたし」という本がある。
そこに書かれてあったことを簡単にまとめるとこういう話。


そして、このログは日々変化しているけれど、
地球自体が持っているログのおかげで、大きく下がることはない。

この知識を持って、歴史を眺めると、
歴史を知る、ということは、
ログの修正を行っているということなんだなということに気が付く。

 

ちなみに。
キリストとシャカが持っていた意識のログが1000+
キリスト教は500、大乗仏教が950(禅は890・浄土宗740)
これは最初に展開された教えからの劣化度を示すもの。
最大値1000で、値が高いほど、劣化が低い。

 

ただ、これには一つ不安定要素があって。
それぞれの宗教の指導者(介在者)が持つログによって変動する。ということ。


だから、純粋にこのエネルギーのログを体験するには、
介在者から与えられる情報を盲信し、満足するのではなく、
その情報に触れたときの自分の感覚の変化や、
インスピレーションを大切にすること。

これは自分オリジナルのログを守ることにもなる。

 

結局「原典を読む」のが一番いい。

読むというより、言葉を「感じる」
ログの変動は自分のログとの共鳴で起こる。
読経、写経、最高(笑)

でも、たぶん。
ログの記憶のある空間に身を置いて、エネルギーを感じ、
自分の内側から生まれる思考とことばが一番安全。

読経も写経も、結局、

ログの記憶のある空間とつながる鍵に過ぎない。

 

そんなことに思いを馳せつつ、

北東北の歴史を「Feel」するに。

 

藤原清衡は奈良・京都で栄えた仏教文化に違和感を感じ、
中国との交流を大切にしたという。


この辺り、この、ログの違いを感じる

直観的違和感が先にあったのかもしれない。

 

奥州藤原氏の持っていた東北の交易路は、
もともと安倍氏がくみ上げたもの。

そう考えるのが自然。
中心地は平泉以前に仏教文化が栄えた、国見山@北上。
清衡は前九年で荒廃した交易路を整備したんじゃないかな。

 

ログ・950の情報と共鳴する都市があのあたりにあった。
それだけで、わくわくする。
もちろん、他にも仏教都市、と言われた場所は

これぐらいのログを
ポテンシャルとして持っているんだから、すごいこと。

ちなみに、

鎌倉は禅が栄えたので、800前後をポテンシャルとして持っている。

 

来たる7月14日は清衡忌。(だったはず)
江刺かな、平泉かな。どっちもかな(爆)
金色堂に物質状態(俗に、ミイラという・・・笑)でまだいらっしゃるので

彼らが生きた記憶のログとの交流は比較的しやすい。

 

その中でどうにも、清衡さんに引っ張られます。

 

 

<わたし> ―真実と主観性(覚醒ブックス)

<わたし> ―真実と主観性(覚醒ブックス)

 

 

こちらも名著。

 

 

パワーか、フォースか 改訂版 ― 人間の行動様式の隠された決定要因 (覚醒ブックス)

パワーか、フォースか 改訂版 ― 人間の行動様式の隠された決定要因 (覚醒ブックス)